歌手、女優、司会者、版画家等々様々な顔を持つジュディ・オングさん。ここでは主に彼女の芸能に関する足跡を書いてまいります。 1950年1月24日、台湾は台北市で生まれたジュディ・オング(本名:翁倩玉)さんは、2歳でお父様の仕事の都合で、一家で日本に住みはじめます。3〜4歳のころ、日本人の友達が増え始め、日本語ばかりを話すようになったジュディさん。そんな姿を見て『母国語を忘れるのでは』と心配したご両親は、ある提携を結びます。ある日、とてもお腹の空いたジュディさん。「ママ、お腹空いた!」とお母様に話しかけます。でもお母様は知らん振り。何度言っても知らん振りのお母様に、昔話した言葉で話してみようと、「媽媽,肚子餓了(ママ、パットゥヤオラ=台湾語)」と話しかけてみます。すると、お母様は振り返り、「イ尓肚子餓了?快來吃飯!(リ パットゥヤオラ?ギンライジァプン!=お腹空いたの?はやくこっち来て食べなさい!)」と答えてくれたとのことです。 学校はまず東京中華学校、ここで北京語(共通語)を習びながら、家庭教師について英語を学び、14歳でアメリカンスクールへ転校します。彼女の英語はここで身に付けたものなのですね。ちなみに、ジュディという名前は家庭教師の先生につけていただいた英語名でした。 芸歴は9歳から。友達に劇団に入っている子がいて、「劇団に入れば石原裕次郎さんや小林旭さんにも会えるのよ!」の一言で、9歳で劇団ひまわりに入ったとか。 実はジュディさん、超お嬢様なんです。 父方の翁家のお爺様・翁俊明氏(1892〜1943。台南人。)は辛亥革命の歴史的人物(医学校在学中、成立間もない台湾同盟会の会員第一号となる。卒業後は大陸にて医療活動を行なうとともに、孫文の同志として中国建国のために働くが、1943年福建にて台湾の光復を見ずに病死)。またお父様・翁炳榮氏はBBCラジオ局局長にしてGHQ心理作戦部チーフ。一方母方のお爺様は台南の大地主・劉北鴻氏。そんな厳格な家庭の中では娘が芸能界に入るというのは大事件だったのでしょう。でも、学業は必ず成し遂げるという約束で、劇団に入ることを許してもらえました。 映画デビューは13歳のとき、日米合作映画「大津波」。またテレビ「明日の家族」や「SHは恋のイニシャル」等のテレビドラマでも大活躍します。そして「ベン・ケーシー」などで声の出演もしています。また、「勝ち抜きエレキ合戦」などの番組のアシスタントを務めるなど、元祖バラドルでもありました。その後1966年にコロムビアレコードからレコードデビュー。「恋ってどんなもの」でアイドル歌手の仲間入りを果たします。このレコードデビューにあたり、ジュディさんは歌のおばさん・松田トシさんに歌を師事していました。ということで、デビュー曲はなんとファルセットで「♪ママ、教えて〜、恋ってどんなもの〜♪」と歌っているんです。 で、当時のエレキブーム、GSブームにのり、1967年「たそがれの赤い月」が50万枚の大ヒット。 この「たそがれの赤い月」は、演歌の大御所作曲家・市川昭介氏が書いています。そして、この曲から地声で歌うようになります。当時は、たとえば山本リンダの「こまっちゃうな」等一連の作品を遠藤実氏が書いたりと、演歌の作曲家・ポップスの作曲家といったカテゴリーはなかったようで、ジュディさんの場合も「夕陽の恋」「さようなら17才」「海辺のメルヘン」「バラの花嫁さん」「ヤングヤング東京」「歩きながら恋しよう」「悲しみの十字架」など、実に多く の市川作品を歌っています。また、1969年には初の筒美京平氏(「魅せられて」の作曲家)作品「涙のドレス」がヒットし、「盗まれた愛情」「忘却の瞬間」の筒美作品をレコーディングしています。当時の映画出演としては、「黒い賭博師 悪魔の左手」「青春ア・ゴーゴー」「帰ってきた狼」と続き、アニメ「サイボーグ009」では声優として出演、その後16歳にして「涙くんさようなら」で映画初主演を果たしました。 そのころ台湾でもレコードデビュー・映画デビューを果たし、映画「小翠」「萬博追踪」に出演します。また、1972年には映画「眞假千金」で台湾のアカデミー賞ともいえる「金馬奨(ゴールデン・ホース賞)」の最優秀主演女優賞を受賞します。翌1973年、映画「愛的天地」で第19回アジア映画祭特別演技賞を受賞、海山唱片公司よりリリースされた主題歌「海鴎(劉家昌作詞・曲)」も大ヒットします。 当時の台湾でのヒット曲のほとんどが、彼女の日本語でのオリジナル曲の中国語版。「再會ロ巴!十七歳(さようなら17才)」「涙的衣裳(涙のドレス)」「戀愛的路多麼甜(歩きながら恋しよう)」「珊瑚戀(海辺のメルヘン)」「春風帶來一陣雨(春は遅かった)」などがヒットしています。そしてその頃の中国語詞をお父様の翁炳榮氏が担当しています。 ![]() 1973年、コロムビア・レコードから設立間もないCBSソニーに移籍。移籍第一弾はエスニックサウンドの「花嫁の耳飾り」。続いて「美しい伝説」とエスニック路線が続き、1975年、市原悦子主演のTBSのドラマ「赤い殺意」主題歌「愛は生命」がヒットし、有線大賞を受賞、アルバム「愛は生命」をリリースします。そして1976年には、「リクエスト」をリリース。この曲はジュディさんご自身も大好きな曲だそうで、既に3回アレンジを変えてレコーディングしています。またこの頃、海山唱片公司よりアルバム「戀愛的星星」をリリース。アルバム「愛は生命」収録曲の「恋の星」中国語版「戀愛的星星」、「花嫁の耳飾り」中国語版「遅到的春天」、「愛は生命」の中国語版「口信」などが収録されています。 1977年、台湾で連続ドラマ「愛的旋風」に主演。その主題歌「愛的旋風」「祈祷」を台湾麗歌唱片公司よりリリースし、大ヒットします。実はこの「祈祷」、なんと「竹田の子守歌」の中国語版で、彼女のお父様、翁炳榮氏が50歳の時に、世界の平和を願って娘のジュディさんに書いた詞だそうです。 1979年、「魅せられて」が200万枚の大ヒット。レコード大賞を受賞し、紅白歌合戦にも出場します。あの衣裳は元々スクリーンドレスにしてエーゲ海をドレスに映すつもりだったものの、収録当日フィルムが間に合わず、広げた袖が美しいということで背後から照明を当てたのが始まりとのこと。「魅せられて」のヒットにより、久々にアルバム「白の幻想」をリリース。ほとんどの曲を筒美京平氏と阿木燿子氏が書いています。また同年、香港CBS新力唱片公司より香港向けにアルバム「白の幻想」(『愛的迷戀(魅せられて)』『克利コ島晨光(クレタ島の夜明け)』のみ中国語)がリリースされ、大ヒットします。そしてやはり同年、「惑いの午後」と同曲を含むアルバム「ヒロイン」(『魅せられて』英語版『LOVE
IS CALLING ME』、『クレタ島の夜明け』英語版『ISLAND
OF CRETE』収録)が、80年には大きな孔雀の羽扇が印象的な「麗華の夢」と同曲を含むアルバム「麗華の夢」(小柳ルミ子の歌った『ジョーク』も収録)がリリースされ、2回目の紅白出場を果たします。その後CBSソニーにて「リクエスト」「春雪」「あなたの背中」と続き、TBSドラマ木曜座「愛の別れ道」主題歌「滴のように」、フリオ・イグレシアからプレゼントされた「朝なのに黄昏(原曲は『33歳』)」をリリースしました。またこの頃、舞台劇「おおマギー」「ジジ・恋はこんなふうに」「橋」「マギーの決断」「スージー・ウォンの世界」「薮原検校」などに出演します。また、1983年には香港にて「新蜀山劍侠(邦題:『天空の剣』ツイ・ホーク監督、アダム・チェン、ブリジット・リン、ユン・ピョウ、サモ・ハンキンポー出演)」というゴールデンハーベストの映画に、仙女・李亦奇役で特別出演。この作品は東京ファンタスティック映画祭に出展されました。 1985年、TVドラマ「おしん」が香港で放映されますが、その香港での主題歌「信」を、香港EMIより広東語でリリース(『徹子の部屋』にて、広東語の発音がとても難しく、1曲のレコーディングに3日かかったと話されてました)し、それが東南アジアの広東語圏で大ヒット、1988年には香港のゴールデンレコード大賞を受賞します。また日本でも東芝EMIに移籍、映画「ひとひらの雪」主題歌「ひとひらの雪」をリリースし、ヒットします。また、東芝日曜劇場のテーマ曲「愛のめぐり逢い」をリリースします。また、ジェームス三木氏と共にNHKの「ザッツ・ミュージック」の司会を務めます。そして番組で歌った「Bei
Mir Bist Du Schon」「Over the Rainbow」「The
End of the World」などスタンダード・ナンバーを「素敵な貴方」というアルバムに収めてリリースしました。1989年、台湾の歌林唱片公司より、台湾向けアルバム「倩玉情懷」をリリース。TVドラマ「含羞草」の同名主題歌、そして歌林家電のCM挿入歌「愛是我們唯一的聲音」、「午夜霓光」などがヒットします。またこのアルバムの中で、前出の「祈祷(竹田の子守歌)」を再録音しています。 1990年にはアメリカでショーを開き、ネバダ州知事により、1990年2月3日が「ジュディ・オングデイ」と制定されます。また、中国CCTVのバラエティ番組「正大綜藝」の主題歌「愛的奉献」が中国大陸でリリースされ大ヒット。念願の中国大陸への進出を果たします。 1992年、日中国交正常化20周年記念「日中友好歌謡祭」で歌と総合司会を務めました。日本からは五輪真弓、坂本冬美、堀内孝雄などが、中国からは毛阿敏、解曉東、蘇小明などが参加。 1993年、飛鳥涼プロデュースの「たったひとつのTonight」リリース。 1994年、TVドラマ「おしん」が台湾で放映され、その主題歌「永遠相信」を含むアルバム「永遠相信」が滾石唱片公司よりリリースされ、また1995年には「沙沙雨淋濕濕」で初の台湾語でのレコーディングを果たし、それを含むアルバム「美麗的歌」を同社よりリリース、共にヒットしました。また、日本でもカメリアダイアモンドのCM主題歌「ロゴス〜言葉」をリリースします。 1995年9月には、ジュディさんが企画から8年間かけて実現した「北京平和コンサート」が実現。日本から喜名昌吉&ザ・チャンプルーズ、西田ひかる、辛島美登里といった面々が、香港から林憶蓮(サンディ・ラム)らが、中国からは解曉東、劉歡、郭峰、艾敬といった歌手が参加しました。 1997年には「ナンパオ」のCMに出演、CM挿入歌「何日君再来」をリリースしました。 1999年には「生命の話をしよう」をリリース。11月、台湾大地震のチャリティコンサートを企画、SHAZNA、浜崎あゆみ、中森明菜、谷村新司、南こうせつ、中島啓江、Chage & Aska、ダイエーの王貞治監督、そして台湾から李宗盛(ジョナサン・リー)、香港から張學友(ジャッキー・チュ ン)らが参加、大成功し、集まったお金は台湾だけでなく、トルコ大地震にも寄付されました。2000年はテレビドラマ「お見合い結婚」に出演、またパリ・トヨタショールームにて「ジュディ・オング木版画展」を開催したほか、書籍「中国絵画って面白い」「ジュディバランス」を出版。歌では、各地でコンサートやディナーショーなどを行なったほか、前年リリースの「生命の話をしよう」がNHK「みんなの歌」にて放送されました。 そして2001年、六本木のライブハウスにて初のアコースティックライブを成功させ、新宿コマ「西遊記」、テレビドラマ「本家のヨメ」などにも出演(これは台湾でも放送されました)。また版画では第33回日展に入選しました。その他、静岡県主宰の「世界お茶祭り」を綜合プロデュースしました。 2002年1月にはアルバム「02」をリリースしたジュディさん。いくつになっても(おっと、ジュディさんは永遠の25歳でした・・・)元気でパワフルで綺麗なジュディさんを、みんなでずっと応援してきましょう! |